<   2014年 06月 ( 22 )   > この月の画像一覧

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政府は、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定について7月1日に実施する方針で最終調整に入った。菅義偉官房長官が30日の記者会見で「与党で調整できれば、明日行いたい」と表明した。自民、公明両党は1日の閣議決定を目指し、正式合意前の意見集約を続行する。

 菅氏は会見で「政府として国民の生命・財産、国の安全を守るとの立場から、法制度の不備があるなら切れ目なくしっかり対応する」と強調し、憲法解釈変更の必要性を訴えた。

 公明党は午後に安全保障に関する合同会議を国会内で開催し、対応一任を取り付けたい考えだ。
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ホンダが水素を燃料とする燃料電池車(FCV)を、日本で先行販売する方針を固めたことが6月24日、分かった。

FCVは、水素と空気中の酸素を化学反応させて発生する電気でモーターを回して走る車で、運転中は水のみを排出し二酸化炭素などを出さないことから、「究極のエコカー」とも言われている。急速充電器でも20−30分はかかる電気自動車(EV)に比べて、水素充填時間は約3分とガソリン車とほぼ同程度で、走行距離も500km以上と、EVの200kmより優れている。

ホンダが2015年に一般販売開始を目指しているFCVは、1回の燃料補給で走行距離800kmを誇るという。販売価格は2015年1月頃に先行発売される予定のトヨタのFCVの動向をみて判断されるが、700万〜800万円程度を見込んでいる。MSN産経ニュースが報じた。

当初は自動車市場の中心となる米国での先行発売を検討していたが、「日本発の最先端技術として売り出す」ことを狙い、日本国内で先行発売する方針を固めた。
 
一般的に1千万円超となる価格についても「採算より普及を優先する方針」(ホンダ幹部)として、割安にする考え。700万~800万円で販売した場合、電気自動車(EV)と同等の政府の補助金が出れば、消費者の負担は600万円台前半からとなる。
 
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ジョブズが1995年に語った「予言」が的中しすぎ 「Web上では小さな企業でも大企業と肩を並べることができるんだ…」

1995年に記録されたスティーブ・ジョブズの幻のインタビュー動画が発見されました。Appleに復帰する前年で、まだWebが本格的に利用されていない時期に、ジョブズはネット社会の到来を的確に予言。Web上によってパソコンがコミュニケーションの手段となること、さらにeコマースの隆盛、スタートアップ企業の出現なども見通しています。(この動画は2013年に公開されたものです)
ロバート・クリンジリー氏(以下、クリンジリー):ロバート・クリンジリーです。テレビシリーズ『Nerd(オタク)たちの勝利』を制作中の1995年、私はスティーブ・ジョブズにインタビューしました。彼はその10年前にアップル社を去っています。自分が引き抜いたCEOジョン・スカリーとの激しい確執が原因でした。

インタビュー当時、彼はアップル社辞職後に創業したニッチ企業のNeXT社を率いていました。そのわずか1年半後、NeXT社をアップル社に売却し、古巣の実権を再び握ることになろうとは、夢にも思っていませんでした。番組で使われたのは、インタビュー映像のごく一部のみです。さらに、マスターテープが1990年代にロンドンから米国に輸送中に紛失し、長年この映像は失われた存在でした。

しかし数日前、当時の監督ポール・センが、コピーしたVHSテープをガレージで発見したのです。数少ないジョブズのインタビュー映像の中で、この映像は彼のカリスマ性、率直さ、ヴィジョンを余すところなく伝えています。この偉人を称え、全映像をご覧に入れましょう。大半が初公開の秘蔵映像です。

資産は25歳で100億円以上、しかし「金儲けについては考えなかった」

(以下、当時のインタビュー)

クリンジリー:それにしても、Apple II(1977年発売)の成功は驚異的だったね。アップル社は急成長し、株式公開を経て、君たちは財を成した。大富豪になった気分は?

スティーブ・ジョブズ氏(以下、ジョブズ):興味深い体験だったよ。22歳で資産は100万ドル以上あり、24歳になると1,000万ドル、25歳で1億ドルを超えた。でも、そんなことは重要じゃない。お金が目的じゃなかったからね。確かにお金は素晴らしい。資金があれば、短期的に儲けが出ない事業にも投資できたりなど可能性が広がるからね。

だがあの時の私にとって、一番大切なのは会社であり、社員や自社の製品だった。この製品を使うことで人々が何をできるかとかね。金儲けについてはあまり考えなかった。株だって売らなかったし。会社は将来必ず成功する、と確信していたんだ。

(途中カット)

スカリーが陥った病とは?

ジョブズ:そうだな。アップル社にとって大きな痛手だったのは、私が会社を去った後、(ジョン・)スカリー(元CEO)が深刻な病に侵されたことだ。同じ病気にかかった人を見てきたが、彼らは優れたアイディアさえ出せば、作業の90%はできたも同然だと考える。そして「素晴らしいアイディアが浮かんだ」と差し出せば、あとは社員が具体化してくれる、と思い込むんだ。

しかし、素晴らしいアイディアから優れた製品を生み出すためには、大変な職人技の積み重ねが必要だ。それに、製品に発展させる中でアイディアは変容し、成長する。当初とはまるで違ったものになる。詳細を詰める過程で多くを学ぶし、大きく妥協することも必要になってくるからね。

電子、プラスチック、ガラス、それぞれにできることとできないことがある。工場やロボットだってそうだ。だから製品をデザインする時には、頭の中で一度に5,000ものことを考えることになる。欲しいものを手に入れるためには、大量のコンセプトや、新たな方法をいろいろ試して組み合わせる。毎日が新たな問題や発見の連続で、その度に全体を組み直す。そういったプロセスがマジックを生むんだ。

アイデアはぶつかり合うことで「美しい石」になる

確かに、初期のアップル社は素晴らしいアイディアにあふれていた。だが、目標を信じて突き進むチームと言えば、思い出すのは、子どもの頃、近所に住んでいた老人のことだ。妻に先立たれた80代の男性で、一見怖そうな感じだった。私は芝刈りのバイトか何かで彼と知り合いになった。

ある日、「ガレージに来い。おもしろいものを見せてやる」と言われて、古い研磨機を見せられたんだ。モーターとコーヒー缶をバンドで繋いだものさ。それから裏庭に出て、一緒に石を集めた。ごくありきたりの石だった。彼は石をいくつか缶に入れ、液体と研磨剤を加えた。缶にふたをしてモーターを動かすと「明日また来い」と言うんだ。缶の中で石が激しく音を立てていたよ。

翌日彼を訪ね、缶を開けてみると、驚くほど美しく磨かれた石が出てきたんだ。缶に入れた時はただの石だったのに、石と石がこすれ合うことで摩擦や騒音はあるが、美しく磨き上がる。私にとっては、この体験こそが、情熱をかけて目標に取り組むチームの象徴なんだ。

卓越した才能を持つ者が集まって、ぶつかり合い、時には議論を戦わせ、ケンカし、主張する。そうやって互いに切磋琢磨し合い、アイディアが磨かれ、美しい石となる。説明するのが難しいが、1人の力ではないんだ。人はシンボルを求める。だから、私はシンボルにされているが、実際、Macの開発はチームの努力の結果だ。

ジョブズ流マネジメント「間違えることは気にしない。最終的に正しい決断を下せばいい」

ジョブズ:真に優秀な人というのは、自分でもそのことを自覚している。だから、自尊心をくすぐってやる必要はない。何よりも大事なのは仕事をこなすことだ、とわかっているんだ。全体の中で自分の役割を確実に果たすことが求められる。

真に優秀で頼れる人に対してこちらができることは、彼らの努力が足りない時にきちんと指摘してやることだ。理由を明確にして説明し、軌道修正を促してやるのさ。彼らの能力を疑っているように思わせてはいけない。だが、その仕事に関してはチームの目標に貢献できていない、と悟らせる必要がある。簡単ではないね。

それでも、私はいつもはっきりと伝えてきた。これまで共に働いてきた優秀な人たちに聞いてみてくれれば、それが有益だったと言うはずだ。もちろん、耐えられないって人もいたけどね。

だが、私は自分が正しいかにこだわらないタイプでね。こだわるのは、成功だけさ。多くの人が知っているが、私は何かを強く主張していても、反対の証拠を見せられた5分後には、180度意見を変えていた。そういう性格なんだ。間違えることは気にしない。実際、私はよく間違うが、気にしていない。大事なのは、最終的に正しい決断を下すことさ。

ネット社会の到来を予見した、1995年時点の予言

クリンジリー:君が開発中の技術は、10年後にはどうなっているだろう? ヴィジョンを聞かせてくれないか。

ジョブズ:注目すべきはインターネットとWebだね。今、ソフトでもハードでも、この業界で熱いのは、オブジェクト指向とWebだ。Webはものすごく刺激的だ。コンピュータが単なる計算機から脱却し、コミュニケーションの手段となる、という私たちの夢が実現するんだ。Webのおかげで、それが可能になりつつある。しかもマイクロソフト社の所有じゃないから、イノベーションが期待できる。だから、Webは今後の社会に多大な影響を与えるだろうね。

現在の米国では、商品とサービスの約15%がカタログやテレビを通じて販売されている。それがWebに移行したら、インターネットショッピングはすぐに何十億ドル、何百億ドルという規模に成長するだろう。顧客に直接販売が可能な究極のルートだよ。それにWeb上では、世界一小さな企業も世界一の大企業と肩を並べることができるんだ。

だから10年先の未来から今を振り返った時、Webの登場がコンピューターの社会的重要性を確立したとして、テクノロジーの歴史に刻まれていると思うんだ。Webはこれから大きく成長する。パソコンの世界に驚くべき変化を引き起こし、新しい命を吹き込んだ。とにかくすごいことになるよ。

音楽、詩、歴史–芸術的素養を持つエンジニアがMacを作った

ジョブズ:子どもの頃、Scientific Americanという雑誌である記事を読んだんだ。地上の様々な動物の移動効率を計測したもので、クマやチンパンジー、アナグマ、鳥や魚などが載っていた。1キロあたりの消費カロリーをヒトも含めて比較していて、1位を獲得したのはコンドルだった。万物の霊長のはずのヒトはふるわず、下から3分の1あたり。

だが誰がひらめいたのか、自転車に乗ったヒトも測ってみたら、コンドルなんて目じゃなかった。この記事に私は強い衝撃を受けたのを覚えている。人間は道具を作る動物だ。道具によって、生まれ持った能力を劇的に増幅できるんだ。アップル社の最初期には「パソコンは脳の自転車」と広告を出したことすらある。

将来、歴史を振り返ってみた時に、人類が発明したものの中で、コンピュータが一番かそれに近い重要性を持つだろう。私はそう確信している。我々が生み出した史上最高の道具だよ。私は本当に幸運だと思う。この発明品の創成期と言える今の時代に、シリコンバレーという絶好の土地に身を置くことができるのだからね。

例えばロケットでも、打ち上げの段階で方向を少し修正すれば、宇宙に何マイルも飛ぶようになるんだ。コンピュータも今はまだその初期段階だから、正しい方向に動かせばもっと良いものになるはず。進化していくにつれてね。今までにも何度かそういう機会があったが、非常な満足感を覚えたよ。

クリンジリー:でも、正しい方向を見定めるには?

ジョブズ:それは……結局、センスの問題だろう。人類が生み出してきた優れたものに触れて、自分のしていることに取り入れるんだ。ピカソが言ったように、「優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む」さ。私たちは良いアイデアを恥じることなく盗んできた。

Macが素晴らしい製品になった理由の1つは、開発チームが音楽や詩、芸術、動物学、歴史に通じていて、しかも世界最高のコンピューターの知識を持っていたからだ。コンピューターのない時代なら、別の分野で活躍していただろう。

彼らは非常にリベラル・アーツ的な雰囲気でMac開発に臨んだ。リベラル・アーツ的な、ジャンルにとらわれないクリエイティブな姿勢で、別分野で触れた最高のものをMacに注ぎこんだんだ。視野が狭いとそんなふうにはいかないだろう。

優秀な人にとって、コンピュータは手段でしかない

ジョブズ:私がともに仕事をした真に優秀な人々は、コンピュータを作るのが目的とは思っていない。手段になるから作っているだけだ。他の人と共有したい感情を伝える、最も有効な媒体がコンピューターなんだ。わかるだろうか?

クリンジリー:ああ。

ジョブズ:コンピュータが生まれる前だったら別の人生を歩んでいただろうが、彼らはコンピュータと出会い、アップル社にやってきた。学生時代に、あるいはその前から興味を持っていたからだ。「自分の言いたいことが、この機械なら表現できるかもしれない」ってね。

(エピローグ)

このインタビューが行われた翌年の1996年、ジョブズはNeXT社をアップル社に売却。倒産まで90日の崖っぷちにあった古巣を再び率いることになった。そしてアメリカ史に残る企業再生に着手。iMacやiPod、iTunesやiPhone、iPad、Apple Storeといった革新的な製品を武器に、破綻寸前のアップル社を時価総額米国トップの企業へと導いた。インタビューの中で彼が言ったように、「誰もがより優れたもので育つように」まさに最高のものを広めたと言える。
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楽天が7月にも航空会社の経営に参画する準備を進めていることが、東洋経済の取材で明らかになった。パートナーとなるのは、マレーシアを本拠とする東南アジア最大級のLCC(格安航空会社)、エアアジアだ。

 赤いカラーリングの機体や客室乗務員の制服を特徴とするエアアジアは一時、日本の国内線から撤退したが、2015年をメドに再参入するとすでに表明している。今春には、新会社「エアアジア・ジャパン」(現在「バニラ・エア」に社名変更している、旧「エアアジア・ジャパン」とは別会社)を日本で立ち上げており、楽天が同社に大株主として資本参加する方向で交渉が進んでいる。

●7月上旬にも正式発表か

 楽天のほかに日本企業が2~3社程度、出資する可能性があり、関係者間で最終調整に入っている。楽天以外の上場企業も候補に挙がっている。7月上旬にもエアアジアのトニー・フェルナンデスCEO(最高経営責任者)が来日し、会見を開くもようだ。

 日本の航空法は第4条で、国内の航空会社に対し、外資の出資比率の上限を発行済み株式総数の3分の1(33.3%)まで、と定めている。

 旧エアアジア・ジャパンの場合は、議決権ベースでエアアジアが33%、ANAホールディングス(HD)が67%を出資。無議決権株式を含めると、エアアジア49%、ANAHD51%という株主構成だった。ジェットスター・ジャパンも、日本航空(JAL)と豪カンタス航空がそれぞれ33.3%ずつ、三菱商事や東京センチュリーリースが、残りを出資している。

 最終的な株主構成は現時点で明らかになっていないが、法令や前例などを踏まえると、国土交通省に航空会社としての許認可を申請する段階では、楽天とエアアジアが直接出資で最大3分の1ずつ、残りを複数の日本企業で持ち合うというのが有力案の一つといえそうだ。

●拠点はセントレアに

 新生エアアジア・ジャパンは、登記上の本社を愛知県常滑市セントレア、つまり中部国際空港に置いている。同空港を拠点に日本の主要地を結ぶ路線を張り、「2015年中の就航開始を目指しているようだ」と、国土交通省航空局の幹部は明かす。

 楽天の資本参加が実現すれば、同社は役員を派遣し、関連システムの運営などの面で具体的に事業へかかわるとみられる。楽天は通販のほかに、銀行、証券、旅行などの事業でネットを駆使しており、ユーザーインターフェースや決済など、EC(電子商取引)を知り尽くしている。

 一方、LCCはコストを極小化できるネット販売をどれだけ拡大できるかが、経営の肝。そうした面で、ITやネットに関する楽天のノウハウが生かせる。旅行事業を展開する楽天トラベルとの連携も図れそうだ。
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東京都議会での『 女性蔑視ヤジ発言 』が世界的な問題にまで大問題化しているようですが、すでに犯人は確定しているようです・・・そういえば『 金目発言 』でフクシマに謝りに行っている自民党『 石原伸晃 』環境相は、東京都連会長なんですよね・・・今週中には、誰をやり玉に挙げて責任を取らせるかの自民党内での段取りが決まるか、愚民が興味を引く違う話題を作って興味を削ぐかのどちらかでしょうね・・・w

そういえば、ヤジられた『 塩村文夏 』都議会議員は、元ミスコンで6冠したというのを明石家さんまの『 恋のから騒ぎ 』で自慢してましたよね・・・ 説教部屋では、史上タイの記録を持つほど番組内での言動は過激でしたが、今は、高級車外車を乗り回して都庁にたまに行って仕事しているようです・・・ホント政治家って目くそ鼻くそw

【 都議会:ヤジは鈴木章浩・自民都議 認めて会派を離脱へ 】
http://mainichi.jp/select/news/20140623k0000e040241000c.html
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馬鹿な画像の典型だ!
かっこ馬鹿な画像の典型だ!
かっこわるいし気持ち悪い,不快x100000
アメリカは戦争で稼ぐなよ。
手出しするな他国に、内側が水浸しにならないと判らないらしいな


疑問文とか否定文の場合は<some>は使わず<any>を使う・・・元々、英文法に関してはレベル中以下でしたが、活字離れ&新聞離れが急速に進んだ為か?、<アメリカ人=英語(国語)が出来る>と云う我々の常識は考え直した方がイイかも? 一般の米国人は<外交・国際問題>には殆ど無縁且つ興味はゼロです・・・さらに約4000万人が英語の読み書きが出来ない(スペイン語圏になってる)とも言われています。 二十年近く前のことですが、米海軍の提督が「多くの兵隊が英語が解らないから、マニュアルは漫画にしている」と、嘆いておりました。 ☆文法に関して言えば、日本人の方が遥かにデキる(?)から、正しい文法とスペルの合ってるモノだけを読み・信用しましょう!!!わるいし気持ち悪い,不快x100000



疑問文とか否定文の場合は<some>は使わず<any>を使う・・・元々、英文法に関してはレベル中以下でしたが、活字離れ&新聞離れが急速に進んだ為か?、<アメリカ人=英語(国語)が出来る>と云う我々の常識は考え直した方がイイかも? 一般の米国人は<外交・国際問題>には殆ど無縁且つ興味はゼロです・・・さらに約4000万人が英語の読み書きが出来ない(スペイン語圏になってる)とも言われています。 二十年近く前のことですが、米海軍の提督が「多くの兵隊が英語が解らないから、マニュアルは漫画にしている」と、嘆いておりました。 ☆文法に関して言えば、日本人の方が遥かにデキる(?)から、正しい文法とスペルの合ってるモノだけを読み・信用しましょう!!!
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週末に、群馬県の「富岡製糸場が世界遺産」に登録されたようですね。歴史的に意義ある建物をメインテナンスするには、億単位の莫大な予算がかかるようです。古き良きものから新しいものへの変化の時期は、課題が多いですね。
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道具を巧みに使って、他人を幸せにする人、道具を悪用して巧みに他人に嫌な思いをさせて満足している人…この道具が「法律」ならどうでしょう? それに携わるだけで、多くの人を幸不幸に分けていきます。取り扱いに注意したい道具ですね。
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創業230年の製薬最大手、武田薬品工業で「創業家の乱」が起きている。

同社初となる外国人社長の就任に、株主である創業一族や元経営幹部らが反対しているのだ。他の株主に同調の動きは広がっておらず、27日の株主総会で人事が覆される可能性は低いが、外国人トップに対する日本人のアレルギーが依然として根強いことが浮き彫りとなった。

武田家などの創業一族が“標的”にしているのは、英製薬大手グラクソ・スミスクラインから引き抜いたフランス人のクリストフ・ウェバー氏(47)。武田薬品は海外での大型買収を繰り返した結果、従業員の3分の2を外国人が占めており、ウェバー氏の国際感覚に期待しての人選だ。

これに対し、創業一族や元経営幹部ら約110人は4月、連名で同社に質問状を提出した。その中では、「ウェバー氏が社長になり、武田薬品が海外の有力大手に買収される事態になれば、極めて優良な創薬技術が国外に流出する可能性が発生する」「武田薬品の研究者の社外流出が危惧され、結果的には電機大手の二の舞いになる」と警告。ウェバー氏の社長就任を「外資の乗っ取り」と断じ、「財務と研究開発を外国人に任せることは、決して許してはいけない」と強調した。

外国人社長と外資による買収を結びつけることには論理の飛躍があり、質問状を出した株主の持ち株を合計しても1~2%にすぎない。ただ、名を連ねる創業家の一人は、読売新聞の取材に対し、「ウェバー氏は日本の医療業界を全然知らない。武田薬品の伝統と文化も知らない。そんな人を社長に据えるのはむちゃだ」と訴える。

武田薬品側は起用の理由について、「社内外の人材を公平な目で選んだ結果だ。グローバルに活躍してきたウェバー氏の下で働くことで、社員が学べるものも多い」と説明する。質問状の指摘については、株主総会前であることを理由にコメントしていない。

武田薬品は1781年(天明元年)、大阪で生薬の仲買商店として創業し、明治維新後には同業者に先んじて西洋医薬の輸入を始めた老舗企業だ。

現社長の長谷川閑史(やすちか)氏は2003年、創業家の武田国男氏の後を継いで就任した。海外企業の買収や、ライバル企業から引き抜いた外国人の幹部登用など、グローバル化を進めてきた。
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ニコラス 田原 剛 の告別式
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池袋雑司ヶ谷霊園 田原家のお墓

田原 満智子(たはら まちこ)
田原 岩太郎(たはら いわたろう)

8-3-5 発明家 大正11年7月11日 
港での別れの七色紙テープを発案 
その他数多くの玩具と洋服を創作し
戦後の日本にモダニズムを注入一筋の光と希望を与えた。
デザイナーの草分け的存在。
池袋に工場跡あり(現在緑地公園になってます)

田原 イト   
田原 稔    
田原 綾子  
田原 剛    (ニコラス 田原 剛)

池袋雑司ヶ谷霊園
マイラーの人気スポットになっています。
その他雑司ヶ谷霊園の住民票

中浜 万次郎(ジョン 万次郎)
坂本竜馬の剣術の師(千葉 周作の弟)
夏目 漱石 
竹久 夢二
永井 荷風
泉 鏡花
いずみたく
サトウハチロウ
川口 松太郎
尾上 菊五郎
大川 
などなど 時代をリードした著名なスターが勢ぞろい
まだまだ沢山の著名人眠っています。
歴史探索に興味ある霊園です。

氏名 墓碑の位置 職業 没年月日(享年) 事績

愛知揆一(あいちきいち)
1-1-10 政治家 昭和49年(1974)11月23日(66歳) 文部大臣、大蔵大臣、外務大臣を歴任。沖縄返還にも心血を注いだ。
安部磯雄(あべいそお)
1-1-10 社会運動家 昭和24年(1949)02月10日(83歳) キリスト教社会主義者。早大野球部の創設者でもあり学生野球の父といわれた。
安藤鶴夫(あんどうつるお)
1-19-4 演劇評論家 昭和44年(1969)09月09日(60歳) 本名 花島鶴夫。歌舞伎・文楽・落語など古典芸能の評論家。小説も書いた。
池田菊苗(いけだきくなえ)
  化学者 昭和11年(1936)05月03日(72歳) グルタミン酸ナトリウム(味の素)の製法を確立した。ロンドン留学中の漱石と同部屋。
伊澤修二(いざわしゅうじ)
1-10-8 教育者 大正6年(1917)05月01日(67歳) 日本の音楽教育の基礎を築き上げた。師範教育、聾唖教育、吃音矯正に従事。
伊沢多喜男(いざわたきお)
1-14-12 政治家・内務官僚 昭和24年(1949)08月13日(79歳) 和歌山、愛媛、新潟の各県知事。警視総監、台湾総督、東京市長を歴任。
泉鏡花(いずみきょうか)
1-1-13 小説家 昭和14年(1939)09月07日(67歳) 尾崎紅葉の門下。神秘的・浪漫的世界を展開。「湯島詣」「高野聖」など。
いずみたく(いずみたく)
1-5-34 作曲家 平成4年(1992)05月11日(62歳) 本名 今泉隆雄。「夜明けのうた」「恋の季節」「見上げてごらん夜の星を」
市川左団次(いちかわさだんじ)(3代) 1-8-17 歌舞伎俳優 昭和44年(1969)10月03日(71歳) 本名 荒川清。芸域が広く、戦後の歌舞伎界において後進の指導に尽くした。
市川門之助(いちかわもんのすけ)(6代) 1-8-17 歌舞伎俳優 大正3年(1914)08月10日(53歳) 田舎芝居から九世団十郎に入門、女らしい女形だとうたわれた。
市川門之助(いちかわもんのすけ)代々 1-8-17 歌舞伎俳優 享保14年~(1729~) 正徳・元禄期から明治後期の荒川清太郎まで六代続く。→参照

市原盛宏(いちはらせいこう)
1-9-7 銀行家 大正4年(1915)10月04日(58歳) 朝鮮銀行初代総裁、横浜市長などを務める。渋沢栄一に従い欧米各地を視察す。
市村羽左衛門(いちむらうざえもん)(15代) 1-15-2 歌舞伎俳優 昭和20年(1945)05月06日(72歳) 風姿と台詞まわしに優れ、立役の名優として一世を風靡した。
伊藤長七(いとうちょうしち)
  教育者 昭和5年(1930) 東京府立第五中学校(現 東京都立小石川高等学校)初代校長。
井上哲次郎(いのうえてつじろう)
1-19-6 哲学者 昭和19年(1944)12月7日(88歳) 明治に活躍した哲学者。東京帝国大学教授。ドイツ観念論を講じた。帝大英語講師小泉八雲を解任、後任に夏目漱石を据えた。号は巽軒(そんけん)。
今村紫紅(いまむらしこう)
1-8-7 日本画家 大正5年(1916)02月28日(37歳) 松本楓湖に師事した。日本美術院・紅児会・巽画会・国画玉成会などに参加。
岩瀬忠震(いわせただなり)
1-1-8 幕臣 文久元年(1861)07月11日(44歳) 幕府の目付・外国奉行など。開国論者で日米修好通商条約の締結に努める。
岩野泡鳴(いわのほうめい)
1-20-12 小説家・評論家 大正9年(1920)05月09日(48歳) 浪漫主義の詩人から、自然主義の小説家へ。晩年は評論で日本主義を主張。
江戸屋猫八(えどやねこはち)(初世) 1-西6-3 物まね芸人 昭和7年(1932)04月06日(65歳) 客との葦舌を交えたかけあい、こっけい問答で人気があった。
大井憲太郎(おおいけんたろう)
1-16-3 社会運動家 大正11年(1922)10月15日(80歳) 自由民権運動を推進し、自由党結成後は左派として活躍。
大川橋蔵(おおかわはしぞう)
1-1-13 俳優 昭和59年(1984)12月07日(55歳) テレビ時代劇「銭形平次」が当たり役。舞台でも多くのファンを集めた。
大熊氏広(おおくまうじひろ)
1-8-5 彫刻家 昭和9年(1934)03月20日(79歳) 銅像制作に力を注いだ彫刻家。文展(現在の日展)審査員を務めた。
大下藤次郎(おおしたとうじろう)
1-1-12 水彩画家 明治44年(1911)10月10日(42歳) 水彩画の研究団体春鳥会をつくり、雑誌「みずゑ」を創刊した。
大須賀乙字(おおすがおつじ)
1-16-9 俳人 大正9年(1920)01月20日(40歳) 雑誌「アカネ」のち「人生と表現」を創刊。俳論家としても業績を残した。
大塚楠緒子(おおつかなおこ)
1-1-11 詩人・小説家 明治43年(1910)11月09日(36歳) 長詩「お百度詣」は女性の立場から戦争に抗議したものとして有名。
大町桂月(おおまちけいげつ)
1-9-5 評論家・詩人 大正14年(1925)06月10日(57歳) 博文館に入社し、評論を書き美文家として知られた。晩年は紀行文も書いた。
尾形月耕(おがたげっこう)
1-東6-3 浮世絵画家 大正9年(1920)10月01日(62歳) 通称 田井正之助。新開・雑誌の口絵・挿絵に当世風俗を描いた。
小川笙船(おがわしょうせん)
1-5-4 医者 宝暦10年(1760)06月14日(89歳) 江戸中期の町医者。「小石川養生所」創設者。「赤ひげ」のモデルとなった。
荻野吟子(おぎのぎんこ)
1-5-23 医者 大正2年(1913)06月23日(63歳) 日本で初めての政府公認の女医。本郷湯島に産婦人科医院を開設した。
小栗忠順(おぐりただまさ)
1-4B-5 幕臣 明治元年(1868)04月05日(42歳) 通称 上野介。陸軍・勘定奉公等を歴任した後、徳川埋蔵金問題絡みで処刑。
押川春浪(おしかわしゅんろう)
1-20-3 小説家 大正3年(1914)11月16日(38歳) 日露戦争前後に空想冒険小説を書き活躍した。キリスト教教育者押川方義の息子。
落合直澄(おちあいなおずみ)
1-4B-3 国学者 明治24年(1891)01月06日(52歳) 幕末・明治期の国学者。大教正、皇典研究所講師となる。
鬼あざみ清吉(おにあざみせいきち)
1-8-5 盗賊 文化2年(1805)06月29日(30歳) 河竹黙阿弥作「小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)」のモデル。
尾上菊五郎(おのえきくごろう)(6代) 1-17-19 歌舞伎俳優 昭和24年(1949)07月10日(63歳) 中村吉右衛門と共演して菊吉時代を作った名優。芸域の広い名優であった。
尾上梅幸(おのえばいこう)(6代)
1-15-2 歌舞伎俳優 昭和9年(1934)11月08日(65歳) 五世菊五賂の養子。容姿にすぐれ、女形で生世話物を得意とした。
柏井園(かしわいえん)
1-8-9 牧師 大正9年(1920)06月25日(51歳) 「文明評論」を創刊し、評論等を発表。日本のキリスト教神学の確立に努めた。
片倉元周(かたくらげんしゅう)
1-8-18 医者 文政5年(1822)09月11日(72歳) 産科の技術に優れ、実地診療とともに後進の指導に努めた。
加藤弘之(かとうひろゆき)
1-4B-3 啓蒙学者 大正5年(1916)02月09日(81歳) 初めて天賦人権論を主張したが、転向し社会ダーヴィニズムを説く。
金子馬治(かねこうまじ)
1-1-9 哲学者・文学者 昭和12年(1937)06月01日(68歳) 理想主義・文化主義の立場で、欧米新思想の紹介と評論活動を行なった。
神尾光臣(かみおみつおみ)
1-16-2 軍人 昭和2年(1927)02月05日(73歳) 隆軍大将。日露戦争旅順攻略歩兵22旅団長。第一次大戦青島攻囲軍司令官。
川口浩(かわぐちひろし)
1-16-10 俳優 昭和62年(1987)11月17日(51歳) 青春映画でヒットし、結婚後実業界へ。テレビの探検もので知られる。
川口松太郎(かわぐちまつたろう)
1-16-10 小説家・劇作家 昭和60年(1985)06月09日(85歳) 第一回直木賞。映画・演劇でも活躍。映画「愛染かつら」が有名。
川本幸民(かわもとこうみん)
1-2-1 蘭学者 明治4年(1871)06月01日(62歳) 三田藩の侍医・蕃書調所教授。銀板写真に成功する等西洋理化学の紹介に尽力。
北村寿雄(きたむらとしお)
1-17-19 小説家 昭和57年(1982)01月03日(86歳) 「笛吹童子」の著作者。連続ラジオドラマで日本中の子供たちの人気を博した。
喜多村緑郎(きたむらろくろう)
1-5-28 新派俳優 昭和36年(1961)05月16日(89歳) 泉鏡花と親交を深め、彼の作品を上演し鏡花役者といわれた。
金田一京助(きんだいちきょうすけ)
1-22-5 言語学者 昭和46年(1971)11月14日(89歳) アイヌ研究の第一人者。多くの辞書の監修者としても知られる。
窪田空穂(くぼたうつぼ)
1-9-8 歌人・国文学者 昭和42年(1967)04月12日(89歳) 「明星」に詩歌を発表。現実主義的作風を示す。古典の評釈、研究書も多い。
ラファエル・ケーベル(らふぁえる・けーべる)
1-東6-2 哲学者・音楽家 大正12年(1923)06月14日(76歳) ドイツ系ロシア人。東京帝国大学で西洋哲学、東京音楽学校でピアノを教えた。
小泉八雲(こいずみやくも)
1-1-8 小説家・英文学者 明治37年(1904)09月26日(55歳) 本名 ラフカディオ・ハーン。イギリス人。欧米に日本の真姿を伝えた。
斎藤百合(さいとうゆり)
1-16-12 教育者 昭和22年(1947)01月17日(55歳) 本名 小つる。昭和初期に雑司が谷で、女性視覚障害者の教育に生涯を捧げた。
佐々木古信(ささきひさのぶ)
1-4A-1 歌人・技術者 明治32年(1899)11月08日(74歳) 長州萩藩士。歌道に才能を見せた。また、日本の兵器発達に力を尽くした。
サトウ ハチロー(さとう はちろー)
1-5-25 童謡作家 昭和48年(1973)11月13日(70歳) 詩人で童謡・歌謡曲の作詞も行なった。「リンゴの唄」「ちいさい秋みつけた」
佐野利器(さのとしたか)
1-西6-8 建築学者 昭和31年(1956)12月05日(76歳) 耐震構造学の研究者。日本最初の本格的鉄骨構造建築である丸善の設計をした。
塩田広重(しおたひろしげ)
1-14-8 外科医学者 昭和40年(1965)05月11日(91歳) 日本医科大学学長。塩田外科の名声は高く、多くの有名人の治療にあたった。
島村抱月(しまむらほうげつ)
1-16-2 劇作家・評論家 大正7年(1918)11月05日(48歳) 「早稲田文学」を復刊し主幹となり、自然文学主義文学理論の確立に努めた。
白井喬二(しらいきょうじ)
1-17-3 小説家 昭和55年(1980)11月09日(91歳) 本名 井上義道。戦前の大衆小説を代表する「富士に立つ影」の作者。
白鳥庫吉(しらとりくらきち)
1-8-12 東洋学者 昭和17年(1942)04月01日(78歳) 東洋学研究の推進に大きな功績を残す。門下から多数の東洋哲学者を輩出した。
田鎖綱紀(たくさりこうき)
1-12-2   昭和13年(1938)05月03日(85歳) 日本速記術創始者。伊藤博文から「電筆将軍」の称号を贈られ、自作の戒名は「日本文字始而造候居士(にほんもじはじめてつくりそろこじ)」。
竹田敏彦(たけだとしひこ)
1-8-36 小説家・劇作家 昭和36年(1961)11月15日(70歳) 新聞記者を経て新国劇文芸部長になる。また家庭小説・風俗小説を書いた。
武林無想庵(たけばやしむそうあん)
1-1-4 小説家・翻訳家 昭和37年(1962)03月27日(82歳) 小山内薫らと「七人」を創刊。小説・戯曲を発表。のち渡欧し漂泊生活を送る。
竹久夢二(たけひさゆめじ)
1-8-9 抒情画家 昭和9年(1934)09月01日(51歳) 眼の大きな夢二式美人画で名声を得た。「宵待草」など詩も作った。
千葉定吉(ちばさだきち)
1-西6-5 剣客 明治12年(1879)12月21日 千葉周作の弟。周作を補佐し、北辰一刀流興隆に尽くす。坂本竜馬の剣術の師。
綱島梁川(つなしまりょうせん)
1-1-2 哲学者・評論家 明治40年(1907)09月14日(35歳) 本名 綱島栄一郎。「早稲田文学」などの編集、文芸評論、倫理学研究を行なう。
東儀鉄笛(とうぎてってき)
1-1-1 音楽家・俳優 大正14年(1925)02月04日(57歳) 本名 東儀季治。早大校歌「都の西北」などを作曲。新文芸協会を起こした。
東郷青児(とうごうせいじ)
1-15-19 洋画家 昭和53年(1978)04月25日(80歳) 甘美で幻想的・装飾的な女性像を追求し続けた。二科会会長を務める。
東条英機(とうじょうひでき)
1-1-12 軍人・政治家 昭和23年(1948)12月23日(63歳) 中国戦線拡大を主張。首相となり独裁的傾向を強め戦後軍事裁判で絞首刑となる。
永井荷風(ながいかふう)
1-1-7 小説家 昭和34年(1959)04月30日(79歳) 自然主義より反自然主義に転向。反自然主義・耽美派の代表的作家として活躍。
中川一政(なかがわかずまさ)
1-17-19 洋画家 平成3年(1991)2月5日(97歳) 独学で多彩な作品を制作。自ら「在野派」と称した。名随筆家としても著名。書籍の装画、装丁も多い。昭和50年文化勲章受賞。
中島力造(なかじまりきぞう)
1-16-11 倫理学者 大正7年(1918)12月21日(61歳) イギリスの新カント派の倫理学を日本に紹介した。
中浜万次郎(なかはままんじろう)(ジョン万次郎) 1-15-19 幕臣・翻訳 明治31年(1898)11月12日(72歳) ジョン万次郎。漂流しアメリカ船に救出され渡米。帰国しアメリカ文化を紹介。
中村是公(なかむらこれきみ)
1-2-10 官僚 昭和2年(1927)03月01日(61歳) 後藤新平のあと満鉄総裁となり発展に尽くす。東京市長となり震災復興に努力。
夏目漱石(なつめそうせき)
1-14-1 小説家 大正5年(1916)12月09日(50歳) 「吾輩は猫である」「坊ちやん」などで国民的大作家としての地位を確立した。
成島司直(なるしまもとなお)
1-4A-6 儒者 文久2年(1862)閏08月02日(85歳) 林述斎らと江戸幕府の歴代将軍の治績・言行を綴った「徳川実紀」を編纂した。
成島柳北(なるしまりゅうほく)
1-4A-6 随筆家 明治17年(1884)11月30日(48歳) 反政府的「朝野新開」社長のとき投獄される。文明開化の軽薄さに反発。
成瀬仁蔵(なるせじんぞう)
1-17-6 教育者 大正8年(1919)03月04日(62歳) 日本女子大学創始者。没年迄同校の発展に尽力し教養ある女性の育成に努めた。
額田晋(ぬかだすすむ)
1-22-5 内科医学者 昭和39年(1964)09月29日(77歳) 兄の豊と帝国女子医学校を創立。額田生物学研究所創設。東邦大学学長。
野添ひとみ(のぞえひとみ)
1-16-10 俳優 平成7年(1995)05月04日(58歳) 本名 川口元子。昭和30年代に大映の青春映画で活躍。代表作「くちづけ」等。
羽仁もと子(はにもとこ)
1-1-10 教育者 昭和32年(1957)04月07日(83歳) 自由学園、婦人の友社を創設・経営。徹底した自由主義の新教育を展開した。
浜田玄達(はまだげんたつ)
1-2-10 医学者 大正4年(1915)02月16日(62歳) 東大に助産婦養成所を設立。産科学・婦人科学の基礎を築いた。
林春雄(はやしはるお)
1-16-9 薬理学者 昭和27年(1952)01月01日(77歳) 薬物学を中心に研究。公衆衛生院長などをつとめる。
久松保夫(ひさまつやすお)
1-15-8 俳優 昭和57年(1982)06月15日(63歳) 幾つもの劇団を経験ののち芸能界初の協同組合を結成し俳優の地位向上を図る。
福田栄一(ふくだえいいち)
1-16-4 歌人 昭和50年(1975)(66歳?) 戦前・戦後を通じ歌壇で活躍。「思索的抒情」を標榜し、主情的で日本的もののあわれを歌い、独自の詠風を樹立した。→参考

福永武彦(ふくながたけひこ)
1-12-12 詩人・作家 昭和54年(1979)8月13日(61歳) 東京帝大仏文科にて中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティック」を結成。長編小説『死の島』『草の花』他、フランス詩の翻訳や加田伶太郎という別名での推理小説もある。作家池澤夏樹の父。
古川緑波(ふるかわろっぱ)
1-12-7 喜劇俳優 昭和36年(1961)01月16日(57歳) 笑いの王国の結成に参加。のちに古川緑波一座を結成した。
松永和風(まつながわふう)(4世)
1-15-3 長唄の唄方 昭和37年(1962)09月26日(88歳) 美声家で有名であり、舞台・レコードで多くのファンを集めた。
松村松年(まつむらしょうねん)
1-1-11 昆虫学者 昭和35年(1960)11月07日(88歳) 「日本昆虫大図鑑」等を著し、昆虫学の普及に務めた。日本昆虫学の先駆者。
松本虎雄(まつもととらお)
1-16-19 小学校訓導 大正8年(1919)11月20日(32歳) 引率していた児童が玉川上水に溺れたのを救出したが、本人は力尽き水死した。
水野仙子(みずのせんこ)
1-15-14 作家 大正8年(1919)05月31日(32歳) 本名 川浪てい。自然主義系女流作家。代表作に「道」「嘘をつく日」など。
三益愛子(みますあいこ)
1-16-10 俳優 昭和57年(1982)01月18日(71歳) 本名 川口愛子。エノケン劇団を経て、笑いの王国に加わり看板女優となった。
宮田東峰(みやたとうほう)
1-1-4 ハーモニカ奏者 昭和61年(1986)01月31日(87歳) 日本初のハーモニカ合奏団を創立。ハーモニカ製作において特許をとる。
アリス・ミラー(ありす・みらー)
1-東6-1 宣教師 昭和3年(1928)03月05日(77歳) 慈善学校を通し、後の雙葉保育園の基礎を築く。不幸な女性の救援活動に当たる。
村上専精(むらかみせんじょう)
1-4A-6 宗教学者 昭和4年(1929)10月31日(79歳) 近代日本の仏教史学者。東京帝国大学教授。日本仏教史研究の基礎を築いた。
村山槐多(むらやまかいた)
1-20-6 洋画家・詩人 大正8年(1919)02月20日(24歳) 日本美術院研究所に学び同院展で活躍。個性的な作風で異色画家と注目される。
村山知義(むらやまともよし)
1-5-25 演出家・劇作家・小説家・画家 昭和52年(1977)3月22日(76歳) 東京帝大哲学科中退。尾形亀之助、柳瀬正夢らと前衛美術団体マヴォ結成。前衛とプロレタリアの中間的活動から治安維持法違反で検挙される。その後も劇団主宰、小説『忍びの者』等、多方面で活躍した。
物集高量(もずめたかかず)
国文学者 昭和60年(1985)10月25日(106歳) 父・国文学者物集高見、妹・小説家物集和子(師は夏目漱石、「青鞜」発起人5人のうちの一人)、 同じく雑司ヶ谷霊園に埋葬されている、日本初の女性の探偵小説家と言われる大倉Y子(物集芳子)も妹。矢崎泰久の伯父。菊池寛の友。
元田直(もとだなおし)
1-1-1 法律家 大正5年(1916)03月04日(83歳) 東京代言人組合長、東京府立尋常師範学校長になった。
森田草平(もりたそうへい)
1-東6-3 小説家 昭和24年(1949)12月14日(68歳) 夏目漱石門下に入る。平塚雷鳥との心中を描いた「煤煙」が有名。
柳敬助(やなぎけいすけ)
1-20-12 洋画家 大正12年(1923)05月16日(43歳) 肖像画を得意とし穏やかだが確実なデッサン力で行き届いた作品を描いた。
山野一郎(やまのいちろう)
2-3-11 漫談家 昭和33年(1958)12月18日(59歳) 本名 山内一郎。活動写真の弁士から講釈師・漫談家となった。
山本忠興(やまもとただおき)
1-14-13 電気工学者 昭和26年(1951)04月21日(69歳) 日本最初のテレビ研究者。 日本日曜学校協会会長。第九回オリンピック総監督。
ルドルフ・レーマン(るどるふ・れーまん)
1-4A-5 技術者 大正3年(1914)02月04日(73歳) ドイツ人。造船・土木工学技師。日本初の和独辞典を校訂。日独貿易に貢献。
ジョン・ロレンス(じょん・ろれんす)
1-9-8 英語学者 大正5年(1916)03月12日(66歳) イギリス人。東京帝大英語教師。生涯を英語教育に捧げ、優れた門下生を輩出。
和田垣謙三(わだがきけんぞう)
1-16-12 経済学者 大正8年(1919)07月18日(60歳) 東京商業学校、日本女子商業学校校長等、実務教育を指導し学業に貢献した。
渡辺重石丸(わたなべいかりまる)
1-11-6 国学者 大正4年(1915)10月19日(79歳) 平田篤胤の影響を受け、神道界で活躍。私塾「道生館」を設立し国学を教える。
渡辺沙鴎(わたなべさおう)
1-10-2 書道家 大正5年(1916)10月15日(54歳) 書道展覧会などを各所で開催。明治・大正期に活躍した書道家。
渡井清軒(わたらいせいけん)
1-4B-3 幕臣 文久年間(1861月1864)日(歳) 水戸藩主徳川斉昭(十五代慶喜の父)に仕えた忠臣。江戸邸にて没す。
コメント:
市川門之助代々
歌舞伎俳優。2世以降の屋号滝野屋。俳名は新車。
(1)初世(1691‐1729∥元禄4‐享保14) 2世市川団十郎の門下として市川弁次郎と称し,1719年(?)門之助と改名,若衆方として鳴らした。
(2)2世(1743‐94∥寛保3‐寛政6) 宝暦初年に滝中鶴蔵の名で大坂の舞台をふみ,59年江戸森田座で秀松と改名。62年4世団十郎の門に入り市川弁蔵を名のり,70年(明和7)中村座で門之助を襲名。安永期の若手四天王の一人とされた人気役者。
(3)3世(1794‐1824∥寛政6‐文政7) 初世市川男女蔵の子,初名市川男寅。1815年(文化12)大坂角の芝居で門之助を襲名。23年(文政6)江戸河原崎座で立女方となる。当時若手三幅対の一人としてもてはやされたが,食中毒によって急死した。
(4)4世(1804‐1862∥文化1‐文久2) 3世の弟,初名男熊。のち母方の家をつぎ8世中村伝七を称し,文政8年に門之助を襲名。37年(天保8),4世常磐津文字太夫をも相続した。
(5)5世(1821‐78∥文政4‐明治11) はじめ瀬川路太郎,岩井粂太郎,松本七蔵。45年(弘化2),7世団十郎の門下となり市川新車を名のる。70年(明治3)門之助を襲名。明治の団十郎・菊五郎らの先輩にあたり,前代の諸優の型を伝えた。
(6)6世(1862‐1914∥文久2‐大正3) はじめ坂東秀之助,嵐鱗枝,市川福之丞。85年,鳥熊芝居に迎えられ,春木座で立女方となり,88年,団十郎門下となり2世市川女寅を襲名,女寅閣下と通称された。1910年歌舞伎座で門之助を襲名。型物に定評ある女方であった。
(7)7世(1928(昭和3)‐ )35年市川たか志の名で初舞台,46年3世市川松蔦(しようちよう)をつぎ,62年,門之助を襲名。娘方から年増役までこなす芸域の広い女方として活躍。(平凡社世界大百科事典:小池 章太郎):
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