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ピカソ展、二つの美術館

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ピカソ展、二つの美術館
ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として知られる。
膨大な作品を残してもいる。
長い生涯において、たくさんの恋もしている。
ピカソ展、二つの美術館をめぐるのは、ひどくエネルギーが必要だった。
それも、どこか異質のエネルギーが。

帰宅してから、ふと一冊の本の存在を思い出した。
1965年発行の「ピカソとの生活」。
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彼女自身も画家であったフランソワーズ・ジローが書いたものだ。
ピカソの生活については、それまでも幾多の本が著わされてきたけれど、芸術家として円熟期にあったピカソと10年をともに過ごし、彼の生活の中にいて、初めて内側からピカソを余すところなく描き出した本と言えるかもしれない。

   「花の女」                
  
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   「フランソワーズの肖像-厳粛なのか悲しいのか」  
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彼女が21歳、やがて70歳になろうというピカソとの出会い。

          南仏の海辺でフランソワーズと戯れるピカソの幸せそうな顔

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1944年、ピカソは若い画学生フランソワーズ・ジローと付き合い始めた。フランソワーズとは正式な婚姻関係にはなかったけれど、ピカソとの間に二人の子供、クロードとパロマをもうけている。

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しかしフランソワーズはピカソの嗜虐趣味と浮気癖に耐えかねて、2人の子を連れてピカソのもとを去り、他の男性と結婚。
このことはピカソに大きな打撃を与えたといわれている。

ピカソは仕事をしているとき以外には、一人でいることができなかったという。
ピカソは次の愛人ジャクリーヌ・ロックと結婚。しかし、これにはピカソのフランソワーズに対する意趣返しという目的が隠されていたといわれる。当時フランソワーズはクロードとパロマの認知を得る努力をしていた。ピカソはフランソワーズに「結婚を解消すれば、入籍してあげてもいい」と誘いかけ、これに乗ってフランソワーズが離婚すると、ピカソはすでにジャクリーヌと結婚していたという話の顛末は、ピカソのある側面を物語る。

彼の生涯を眺め渡すような二つの絵画展に圧倒される。
偉大な画家という肩書でなく、その自由な生き方に圧倒される。
ピカソの絵画と聞いてまず思い浮かべるのは、キュビズムの時代の絵画。キュビズムは決して抽象画ではなく、概念として世界を描いたものだが、スペインのマラガに生まれ、生来のボヘミアン気質を持ったピカソは、死ぬまで時代を先取りする画家であったと言える。

生きること、愛することと
芸術の創造とが分かちがたく結びついた彼の生涯を思わずにはいられない。
by denhazim | 2009-10-08 06:36